橘家 圓蔵 インタビュー 落語界の最高レベルの芸人として賞される江戸落語の中心的人物、橘家圓蔵。えずこ寄席二人会(2002年2月3日開催)を直前に控え、落語界に入るまでの生い立ちやおもしろ落語のルーツなど伺いました。また、急逝された志ん朝師匠への熱い思いを語ってくれました。
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橘家 圓蔵 (Enzo Tachibanaya) (2002年2月3日インタビュー) |
Q:円鏡時代に家の節子ということが一世風靡した時代、立川談志、三遊亭円楽、古今亭志ん朝の各師匠と並んで四天王と呼ばれていましたが、そのころどんな気持ちで落語をされていたんでしょう。
正直、負けたくないという気持ちで落語に向かっていました。四天王だなんていうのも周りがはやして言ってくださったことです。でも、ライバル意識は強かったですね。落語家には3つの仕訳があって、うまい落語家、達者な落語家、そして、おもしろい落語家に分けられると思うんです。うまい落語家というのは志ん朝師匠ですね。達者というのは談志師匠ですね。そうすると私はおもしろ落語しかなかったんです。幸い私の兄弟子が三平師匠だったこともあって、おもしろ落語に走るきっかけになったんです。それで、三平兄貴が当時ヨシコ、ヨシコで売っていたのはご存知でしょう。節子っていうのは文楽師匠の女中だったこともあって一緒になったんですが、当時それをうちの節子っていうふうにしたら、大うけだったんです。三平兄貴はとても懐が深くて、本当に素晴らしい人で、それをどんどん使えってくれました。ただ、同時にこんな話をしてくれました。ネタをとって大きくなれるなら、どんどんやれと、でもそのあとは、必ず壁にぶつかる。そのときに苦しんで出てくる芸が本当のお前の芸なんだって、そんなことを話してました。
Q:古今亭師匠が亡くなりましたが、師匠とは交友もあったと聞きましたが。
何年か前、協会が分裂したことがあったんです。僕も志ん朝さんもすぐに戻りましたがね。そのとき、一緒に飲んだことがあっったんです。なんかわかんないんだけど、悔しくてね。お互い泣きながら飲みましたよ。そのとき、仲良くしようって話しましてね。芸人どうしが仲良くして、仲良しクラブになってたらだめなんですよ。晩年は、そういうのも超えてましたね。本当に素晴らしい人間でした。僕ぐらいになるとあまりこんなことはないと思うんですが、志ん朝さんに芸を稽古してもらいましたよ(笑)。芸に関しては差別せずにお互い、いましたね。
Q:これからやってみたいと思われることなどはありますか。
桂文楽師匠、古今亭志ん生師匠、三遊亭圓生師匠、柳家小さん師匠などの大先輩ですが、本当の意味でこの人たちだって五隻持ってれば、もう最高だと思いますよ。但し、その五席は絶対に人に負けないものです。志ん朝さんだって十席もってなかったかもしれません。だから、あればいいってもんじゃなく、そしてやればいいもんじゃないんです。今もっているネタを練って練って、本物にすること。それが僕にとって、今やらなくちゃいけないことだと思っています。落語って例えると、ワインみたいなもんで、落語家にとっても何年ものが1番いいかってあるんですよ。僕も落語のプロですからね。それは聴くとわかりますよ。だからこそ、落語家の持っているものを最高のものにする努力は惜しんじゃいけないんです。根本は落語が好きでも、好きだ好きだと言っているうちは、アマチュアですよ。苦しさの方が大きいですからね。僕なんか年間五百席はくだらないですけど、そのうちの自分でもこれだって思うのは、そのうちの五席ですよ。“セキ”の意味が違うけど、一席もできない落語家って実際は9割ぐらいはいるんじゃないかな。厳しいようだけど、それが現実だし、そこを超えた者がほんものの落語家になれると思うなぁ。
Q:時間があるときはどんなことをして過ごされていますか?
料理が好きですね。実は、事務所で結構料理をするんです。簡単なものが多いですが、作るのは楽しいね。これは落語にも通じるんです。うまいとかまずいの表現もできないのは、だめな落語家ってね(笑)。それから、ゴルフもやるんだけど、これも楽しいですね。ゴルフやってるときは、ちょっと大げさだけど30秒ごとに気分変わりますからね。ダフっちゃってギャ〜って言ったり、ストレスもあるんでしょうけど、ドライバーとかで思ったとおりに飛んだときなんかは、それはもう最高の気分ですよ(笑)。