2012年7月20日
金なんか望むな。幸せだけを観ろ。
ここにな、なんもないが自然だけはある。
自然は、おまえらを死なない程度には、十分、毎年食わせてくれる。
自然から頂戴しろ。そして、謙虚に、慎ましく、生きろ。
(北の国から2002遺言より)
TVドラマ「北の国から」で絶大な人気を誇り国民的支持を受けている倉本聰さんが、演劇公演「明日悲別で」の被災地公演のために来館。お話を伺いました。
まず、東日本大震災と福島の原発事故について、どのような印象、感想を持たれましたか。
倉本:東日本大震災には二つあると思います。天災としての地震、津波の問題と、人災としての福島の原発事故と、これは分けて考えなければならないと思っています。天災については、地球は5億年の歴史に中で常に変動を繰り返してきましたけれど、その都度さまざまな生物が生じ滅びるということを繰り返してきた。その結果として人類が生まれて、それからまだちょっとの間しか経っていない。天災は地球変動の一環で、それを人類という頭のよくなった種族が災害と呼んだわけです。でもこれは当たり前のことで、災害によって生じた景色は美しいわけで、人間には美意識がありますから、そういう土地を選んで住むようになって、オーシャンビューとか、リバーサイドとか、山岳地帯とか、きれいなところ、つまり変動の起こりやすいところに人が住むようになった。そこで地球が変動を起こすとそれを人間が災害と呼ぶようになっただけの話で、これはある種天運として受け止めなければならないことだと思います。
ただ、原発事故は全くべつのもので、一からげにして考えてはいけないことだと思います。震災の後、僕も何度か福島に行きましたけれど、いちばん問題だと思ったのは、中央紙と地方紙、福島民報、福島民友などですが、記事の内容に大きな温度差がある。全国的なものの考え方と、地域に根差したものの考え方で、内容がどんどん変わっていく。温度差が広がっていくわけですね。中央において福島の災害がどんどん風化していく。いわば都会の人間の減関心、関心がなくなっていく。それが激しく進んだ1年だと思います。これはほっておくとどんどん風化が進んでしまう。それから、風評被害の問題。宮城県や岩手県の瓦礫まで地方行政が受け入れないという問題。一方でさんざん原発の恩恵を受けていながら、一旦こういうことが起きるとそれを受け入れない。なおかつ一方で、原発が再稼働に向かっているという問題。これはひじょうに変だと思いますね。
福島の子どもたちを富良野に疎開させませんかという提案をされたということですが、反応はいかがでした。実際に受け入れられてどんな交流がありましたか。
倉本:僕は戦時中、学童疎開で山形、蔵王の向こう側に来てるんですよ。ですから学童疎開についての記憶が強いし、あの時は国の命令でやらされたわけですね。でも今世の中は変わっちゃって、国の命令でそれをやるという度胸のある奴は誰もいない。でも事実、放射能がばらまかれ、子どもがいちばん被害を受けるわけだから、誰かが手を打たなければいけない。最初は各地の教育委員会に働きかけたんですが全然動かない。文科省も動かない。それで、これではいけないと思って、直接、福島民報、福島民友にお願いをして、受け入れますので富良野に来てくださいという記事を書いてもらったんですね。そしたらたちまち40件くらい来ました。問い合わせはもっと多かった。でもそれは自主避難になるわけで逃げたと見られますから、残った人との間に確執とまではいかないんですが、大きな温度差が出てしまった。そういうことがありました。
今お話しされたことが、今回の「明日悲別で」の改稿に繋がっていると思うのですが、どんな思いで書き直しされたのでしょうか。
倉本:「悲別」は約20年前の炭鉱町の閉鎖の話で、これで4作目。「昨日悲別で」「今日悲別で」「悲別」「明日悲別で」とあって、それで、今回何か絡ませることはできないかと思ってその時代の歴史を調べて行ったら、炭鉱の閉鎖と原発の立地の年がひじょうにシンクロするんです。それで炭鉱労働者から原発労働者に移行している人がたくさんいる。北海道だと、茅沼炭鉱という一番古い炭鉱の土地が泊原発に、常磐炭鉱が福島原発になっている。そういう風に原発と炭鉱は目に見えないところで密接な結びつきを持ってるんですね。それは原発立地の条件の中に人口の少ない地域というのがあって、それは都会の豊饒さの元であるエネルギーを担っているにも関わらず、ここは人間が少ないからいいだろうという扱いを受けている土地なんですね。悲別もそうだし福島もそうだし、泊もそうだし、その共通点を描いてみたかった。そのために自分の故郷を捨てざるをえない人々の悲劇を今回はいちばん描いてみたかったんですね。
「芝居は糖衣錠だと思っている。薬で一番効くのは苦い部分だけど、それを感動という甘みでくるんで吸収させておいて、後で苦みがじわじわ効いてくる、というのが僕の方式なんです。」というお話をされてます。作品は見た人がそれぞれの解釈で考えればいいということもありますが、「明日悲別で」における苦い部分はなんなのでしょうか。教えていただけますか。
倉本:「悲別」四作通じて思っていたのは、人間がこれだけ世の中が進んでしまった状況の中で、希望というものを我々が持てるとしたら、自分の体内にあるエネルギーを使うことではないかということ。石炭、石油、原子力、昔は奴隷、人間はずっといろんな代替エネルギーを使ってきて、今、自分の体内にあるエネルギーを使わないことを便利といい、文明だと言っているわけです。でも結局、いちばん希望を持てるのは自分の体内にあるエネルギーであり、それを使うことではないかと思うんですね。エネルギー消費を抑えるために5m歩けばテレビが消せるのに、リモコンというものができるわけでしょう。そこが僕のいちばん言いたいところだけれど、そういうことを言うと論文になってしまいますが…。TVドラマでもなんでもそうだけれど、何か訴えたいものがあるときに、そういうものを常に糖衣錠みたいに甘味でくるんで出すというやり方を僕は取ってきたわけです。「北の国から」もそうでしたし、「悲別」は「北の国から」と全くテーマは変わってないんですよ、実を言うと…。プリミティブな生活に戻るべきではないかという、そういうことなんです。
「体内にあるエネルギー」とは、実際に我々の体内にある物理的なエネルギーだけでなく、スピリット、ソウルが持つ無限エネルギーのことも指しているのかなという印象を持ちましたが、そうなのでしょうか。
倉本:そうです。その両方です。
「明日悲別で」には福島原発事故に関するエピソードが入っていて、福島での上演でどんな反応があるのか少し怖いというようなお話をされてましたが、実際に公演されてどのような反応でしたか。
倉本:正直言ってそれがいちばん怖かったですよ。地元でどういう受け止め方をされるのか。結果的に言うと、「ありがとう」という言葉をいっぱいいただきました。ほとんどそうでしたね。「力が湧きました」という言葉もあったし、やってよかったなと思いました。ただ、それを実際に経験した土地だから、思い出すと辛いという人はいましたが…、十二分に分かっていただけたという部分もあったと思います。毎回、ロビーに出てサインしたり、握手したりお客さんと交流するんですが、毎回すごい列でした。
昨日はいわきで明日は南相馬で、それぞれ立派な小屋なんですね。それは原発があるからあれだけ立派な小屋ができたんだと思うのですが、そこで芝居をやってるわけですよ。こっちは…。こんな立派な施設を小さな町が造れるはずはなく、それは東電マネーが流れてきているということは重々わかります。住民もそれを守りたいというようなことがあって…。だから大飯原発の再稼働にしても、今日明日の利益が優先しちゃうから、なくなったら経済はどうなるんだっていう人たちがいて、でもそう言ってる人たちにとっても、自分たちの家族のところに放射能が来たらどうするんだっていうこと、それが根源でしょう。食うということ以前に息を吸うということ。そのことの方が根源でしょう。どっちが根源かということを考えてほしいですね。
思想家であり評論家である柄谷行人さんが、自然エネルギーへの転換について、代替エネルギーはいらない。今あるエネルギーで十分だという話をしていて。今の倉本さんの話にとても近いと思ったんですが…。
倉本:最近、小渕さん、細川さん時代の政策顧問をしていた経済学者の中谷巌さんのお話を聞いたのですが、これから資本主義が崩壊するっていうんですよ。それで、今までは資本主義においては利益を配分するのが政治の役目だった。しかし、右肩上がりの経済成長というのは続くはずはない。右肩下がりになると不利益が出てくる。そうすると、これからは不利益を配分する時代になり、それをどうやって納得していただくかが政治家の使命になってくる。それがこれから政治家として大変重要な問題になってくる、日本人の意識改革もしなくちゃならないし、というようなことをおっしゃってました。
「北の国から」についてはお聞きしたいことはたくさんあるんですが、二つ質問させていただきたいと思います。まず、物語のバックグラウンドに、現代文明に対する痛烈な批評があります。ご自身も富良野に移住され、自然の中での生活を選ばれたわけですが、そういったテーマ、生活を選ばれたきっかけ、動機とはどういったことだったのでしょうか。
倉本:富良野での生活を選び、生活を始めてみて、そこで初めて段々といろんなことに気づいてきたということですね。
もう一つ、黒板五郎の遺言について(文末参照)、朴訥なのですがとても大切でかけがえのないことについて語っているように思います。それはそのまま倉本さんのメッセージのように思えるのですが…。
倉本:そうですね。僕が自分で普段思っていることを、まさに僕自身の遺言みたいな形で書きました。
たくさんの人たちが、あの遺言のようなイメージ、考え方を持ってもらえたらなというメッセージが伝わってきたのですが…。
倉本:そうですね。そうなってほしいと思います。ただみんながそれに気が付くのに、もう一つ二つ、今回のようなショックが起こらないとだめなのかもしれません。変な言い方ですが、わずか一年でこんなに簡単に覆されちゃう。これが東京で同じことが起こったら、もっと大きなショックが来たでしょう。阪神大震災では原発がなかったから放射能の恐怖には晒されなかった。福島ではそれが起きてしまった。今までの代替エネルギーっていうのは、地球の中に太陽が蓄積した化石燃料を使ってたわけですね。だけどそれが少なくなってきて、石油の残りが1兆2,000億バーレル、それは富士山の七分の一の量、それしかないんですね。もう40年も持たないと思います。その時にどうするかというと、太陽がおこなっている核反応を見て、あれをやればエネルギーが出るじゃないかと考え、そこから出るごみのことを先送りして原発を作ってしまったわけでしょう。ほんとに無謀なんです。そんな無茶な話はない。それを無視してやってる人間の傲慢さというか、これはほんとにどうしようもない。
最近、「原発ゼロの会」という超党派の議員連合ができて、そこからロゴマークを考えてほしいと頼まれて、クラゲにしてほしいって提案したんです。それは、大飯原発が再稼働して100%になる寸前に、クラゲが大量発生して排水口の排水を一時止めちゃったんですね。それで、あれは自然界のデモ行進である。自然界の抵抗であると僕には見えた。だから水クラゲこそ原発ゼロの象徴にすべきだ。今度の選挙では、脱原発派の人はポスターにクラゲのマークを貼ってほしい。クラゲのない人は推進派だと…。今度の総選挙は、ある意味原発を推進するかやめるかの国民投票になりますからね。旗幟をはっきりしてほしい。「show the flag」ですよ。9.11の後にアーミテージ国務副長官が言った。しかし、自民党の議員に聞くと、ほとんどの上の議員たちが電力会社からお金をもらってる。そのことで反対ができないと言ってる。でもじゃあ推進するんですかっていうことなんだけど、いずれ推進か脱原発かどこの政党も党派も含めてはっきりしてほしいと思います。
独特の台詞回しというか、語尾を濁す表現は『前略おふくろ様』あたりからだと思うのですが、どのようにしてあのスタイルになっていったのか、教えていただけますか。
倉本:あれはね、「前略おふくろ様」は、自分のドラマの中でナレーションを使った初めての作品で、僕は、昔日活映画と契約していて、そのころ日活は、ナレーションと回想は使っちゃいけないという原則があったんですね。ところが松竹はよかった。それで松竹出身の山田太一さんが書いた「それぞれの秋」というドラマで、小倉一郎のナレーションで筋を運んでたんですね。それを見て使ってもいいじゃないかという風に思うようになったんです。それで、「前略おふくろ様」は山形から出てきた板前の話で、都会に出てきた田舎人だから上手く喋れない。でも気持ちの中のインナーヴォイスはいっぱいあるはずだと…。例えば高倉健と話してて、あの人の無口と対してると、この人は何も考えてないのかインナーヴォイスがあるのかというと、絶対インナーヴォイスがあると思うんですね。そのインナーヴォイスをナレーションにしちゃおうと思って作ったのが「前略おふくろ様」なんです。それでインナーヴォイスってどんなもんだろうかと考えて、いちばん卑近な例で山下清の「裸の大将放浪記」のぼそぼそした語り口、あれを利用しようと思ったんです。それが「○○なんだな…」とか「○○だと思われ…」というようなセリフになっちゃったんですよ。そういう事情です。内輪話をすると(笑)。
最後に、これから日本はどんな国、あるいはどんな社会になっていったらいいのか、そして、私たちはどんな生き方をしていったらいいのか。倉本さんなりのお考えを教えていただけますか。
倉本:今、日本は原発事故で岐路に立たされていると思います。どうしても今までの豊かな生活を捨てられないという人たちは、原発のクライシスを再び覚悟しなくちゃいけません。そっちの覚悟を持つのか、それとも少し昔に戻って、1970~80年代のエネルギー消費量でいいという覚悟を持つのか、1970年の日本のネルギー消費量は今の五分の二なんです。それでそれが今の世界のエネルギー消費量の平均値なんですよ。その代り国力は衰えるだろうし、GNPは下がるだろうし、小国になります。貧しくなるでしょうね。コンビニは夜中は開いてない。テレビも24時間は放送してない。それでも幸せだと思える人はいると思うんですね。その二者択一、どっちを選ぶのか、それを迫られているんだと思います。この二者択一について、講演会やなんかで何度も会場で手を挙げてもらったんですが、年配の方はほとんどが戻る方に手を挙げる。ところが若者は、今の暮らしを捨てられないから原発を選ぶという方に手を挙げるんですね。僕は最初びっくりしたんです。それで、あなたたちのためのことを言ってるんだよ、こっちの人たちは死んじゃうんだよと言うんだけど、彼らには分からない。コンビニのない世界、質素な生活の世界を想像できない。携帯電話をなくせとは言いませんが、いらない機能はいっぱいある。そういったものを絞っていくべきだし、大量生産、大量消費、大量廃棄みたいな、食うものをいっぱい作っておいてほとんど捨ててるみたいな、こういう時代を変えなかったら、原発が要るようになっちゃいます。だからそこですね。僕は戻るべきだとはっきり言います。
(2012年7月20日 えずこホール楽屋にて収録)
遺 言
純、 蛍、
俺には、お前らに残してやるものは、なんもない。
でも、おまえらには、うまく言えんが、残すべき物は、もう、残した気する。
金や品物はなんも残せんが、残すべき物は、伝えた気がする。
正吉や結ちゃんには、おまえらから伝えてくれ。
俺が死んだ後の麓郷は、どんなか?
きっと、なんにも変わらんのだろうな~。
いつもの様に、春、雪が溶け、夏、花が咲いて、畑に人が出て、
いつものように、白井の親方が夜おそくまでトラクターを動かし、
いつものように、出面さんが働く。
きっと、以前とおんなじなんだろう。
オオハンゴウソウの黄色の向こうに、
雪っ子おばさんや、すみえちゃんの家があって、
もしも、おまえらがその周辺に、拾ってきた家を立ててくれると、うれしい。
拾ってきた街が、本当に出来る。
アスファルトのくずを弾きつめた広場で、快や孫達が遊んでたら、うれしい。
金なんか望むな。幸せだけを見ろ。
ここには、なんもないが自然だけはある。
自然は、おまえらを死なない程度には、十分、毎年食わせてくれる。
自然から頂戴しろ。
そして、謙虚に、慎ましく、生きろ。
それが、父さんのお前らへの遺言だ。