千住真理子さんインタビュー



天才と呼ばれた少女時代、ヴァイオリニストをやめようと思った二年間を経て、現在、ストラディバリウス『デュランティ』を手に、円熟したアーティストとして活動を展開する千住真理子。みやぎ県民文化創造の祭典「芸術銀河2004」で来館した際に、音楽、人生についてお話を伺いました。
千住真理子さん
えずこホールにて
(2004年09月05日)
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〈S:千住真理子さん、Q:えずこホール〉
Q:二歳の記憶が残っていると聞きましたが、それはどんな記憶なのでしょうか。
S:二歳当時、二人の兄がヴァイオリンとピアノを習っていて、私はヴァイオリンにとても興味を示して、箱の中に入っていた兄のヴァイオリンを出して弾いていたんですね。二歳ではまだヴァイオリンを始めるには早いんですが、母が、そんなに興味を持っているなら始めさせてもいいんじゃないか、ということで、二歳三ヵ月からレッスンを始めました。
Q:十二歳でデビューし、「天才少女」と呼ばれ年間60回くらいの演奏会をこなし、めまぐるしい毎日を送られるわけですが、そのころを振り返ると、ご自分ではどんな時期だったと思いますか。
S:十二歳というのはまだ子どもで、クラシックの世界や大人の世界がまだまだ分からない年齢でのプロデビューでした。それで、初めのころは何とか勢いでやっていたんですが、十代の終わりのころになると人の目、人の意見がとても気になるようになり、いろいろなことに大人よりも過度に反応したり、傷ついたりして…、それで二十歳になったときにヴァイオリンを弾けなくなってしまったんです。
Q:二十歳の時、あれほど好きだったヴァイオリンが弾けなくなり、見るのもいやになり、ヴァイオリニストであることをやめようと思った。クラシックの音を聞くと吐き気さえもよおすようになり、四十度を越す高熱が続いた、ということですが、本当だったんですか。そのときの心境を聴かせていただけますか。
S:ヴァイオリンを見るのもいやになったわけではなくて、ヴァイオリンはずっと好きだったんですが、ヴァイオリニストとしてやっていくことが困難で続けられないという状況だったんですね。それでやめよう決断した瞬間から、心と決断が相反していますから、クラシックの音を聞くと吐き気をもよおしたり、高熱が出て倒れてしまうというような状況になってしまったんです。
それまで、とにかく二歳からヴァイオリンを手放したことはなくて、十二歳でデビューしてからは一日十時間なんてへっちゃらで、体力のあるときは十四時間くらい練習してました。練習してないときも音楽のことを考えたり、イヤホンで自分の音を聴いたり、とにかく音楽づけの生活を送っていたんですね。それが、ヴァイオリンをやめていた二年間というのは、その部分が全く空白になったわけで、それは想像以上にとても辛かったですね。
Q:楽器から離れている時期に、懇願されてホスピスの患者さんの前で、人生で一番ひどい演奏を聴かせることになってしまい、胸が痛んで、悩んで、それから家に帰って練習を始めたと聞きましたが…。
S:ヴァイオリンをやめていたころ、あるとき断りきれずに、ホスピスに入所されている方のために演奏することになったんです。それで、その人にとっての最後に残されたわずかな時間に、わたしの人生で一番ひどい演奏を聴かせることになってしまったんですね。それがやり切れなくて、胸が痛んで、悩んで、それから家に帰って練習を始めたんです。それはヴァイオリニストに戻るためではなく、もう二度とこういうことがあってはいけないという思いからでした。
Q:ボランティアでホスピスや老人ホームなどで演奏されることについて、「行くと癒されるのは自分の方。大切なことを思い出させてくれる体験であり、原点に戻れる」というお話をされてますが…。
S:ホスピスには、私たち健常者が計り知ることの出来ない瀬戸際を歩いてきた方々の、厳しくて、深い空気があるんですね。その空気に包まれて演奏するということは、私にとってひじょうに稀有な体験で、私自身を浄化してくれたということですね。
なんていうのかな。神様に会ったような気がしました。そしてそれは音楽っていうのはこういうものなんだということを初めて気がついた体験でもあったんです。つまり、その場では誰も私のことを天才少女とは見ていない。誰も完璧な演奏というものを要求していない。皆さんが聴きたいのは人を驚かせるような音楽ではなく、感動させる音楽なんです。
その驚く音楽と感動する音楽の違いというのはひじょうに大きくて、そのことが身に沁みて歴然と分かり、その瞬間、初めて私の中に音楽が生まれ、私にとって演奏するということの意味が根底から変わったんだと思います。
Q:2年間のブランクのあとで、ステージでの指の感覚が戻らず、7年目のある日。ステージの上で、突然、指の感覚が戻ったということですが、その7年間はどんな感じで演奏していたんでしょうか。それから指の感覚が戻ったときはどんな感じでしたか?
S:その七年間というのは、私にとって本当に忘れられない七年間で、最初は可能性を信じて頑張るん
ですが、あまりにその感覚が戻らないと、もう戻らないかもしれないという不安が、もう戻らないという確信に変わっていくんですね。何度も演奏会の現場で失敗を重ね、そういう不安、葛藤の中で、「大丈夫きっと感覚が戻る」と自信を持って続けていくことはとても難しかったですね。2年間弾かなかったことで、ばちが当たって、音楽の神様が、「きみには、もう弾く資格がない」と言っているんだろうと思ってました。
それで、感覚が戻るというのは、どういう風に戻るのかなと、いろいろ想像していたんですが、七年目のある日、あるコンチェルトを弾いているとき、一瞬にしてすべての感覚が戻ったんですね。「あっ弾ける。あのときの感覚だ」という感じで、おそらく聴いていたお客さんは何も分からなかったと思いますが…。それで、このまま感覚が戻ったままだとしたら、神様が許してくれたんだ。そのならもう二度とヴァイオリンを手放すようなことはしないと強く思いました。
Q:その感覚というのは七年前と、戻った後で同じものなんですか?
S:テクニック的なことなんです。指の神経の先に顔があるような感覚。十代のころ何の不自由もなく、どんな曲でも弾けていたころの感覚と同じものです。
Q:ひょっとしたら、ヴァイオリンをやめる前の感覚と、戻ったあとの感覚は違うものかなと思ったんですが…。というのは、ヴァイオリンを弾かなかった二年間というのは、子どもから大人へと成長する微妙な時期で、その二年の間にさまざまな葛藤を経て千住さんの精神が大きく成長し、子どものころの指の感覚と同調できなくなってしまった。
それで、成長した千住さんの精神と指の感覚が十全に同調するのに、七年の年月を要したということなのかなと思ったんですね。だから、指の感覚そのものは同じものなのかもしれないんですが、戻ったというよりは、一つ上のレベルの新しい感覚を得たのかな、という気がしたんです。
S:ああ、それはすごく面白いですね。おっしゃるとおりだと思います。今までたくさんのインタヴューを受けましたが、そんなふうに言われたのは初めてです。すごく面白いですね。
Q:それで、その感覚ですが、「神が降りてくる」という言い方がありますね。演奏しているときに、ひとりでに指が動いて最高の演奏が出来ている。こっち側にいてそれを見ている自分がいて、自分の指が弾いているのにまるで神が降りてきて自分の体を使って弾いているような感覚。その感覚に近いものなんでしょうか。
S:近いことは近いですね。ティーンエイジャーというのは、ある部分欠損しているというか、ない部分があると思うんです。それで、ないからできることっていうことがたくさんあって、それによって無茶なことでも可能になったり、能力以上のことができるというようなことがあると思うんです。
しかし、成長していろんなことを考えたり、さまざまな感情が生まれたりするようになると、それを抑圧しなければならない、それはとてもたいへんなことで…、「神が降りてくる」というのはいい言葉ですが、どうやって邪念をとるか、欲を落とすか、そういうことですよね。邪念とか欲をとれば、ある意味で子どもと同じ精神状態になり、それによってある一点にだけ集中できる状況というのが出来上がるんだと思います。
Q:無心ということでしょうか?
S:そう、無心ということですね。
Q:上手な演奏家はたくさんいると思うんですが、心に響く演奏、心に沁みる演奏が出来る人っていうのはそれほど多くはいないんじゃないかなと思います。千住さんは、天才少女と呼ばれた時代、ヴァイオリンをやめた二年間、そしてホスピスでのボランティア体験などを経て、深い表現のできるヴァイオリニストとして大きく成長してこられたなという印象を受けるのですが、ご自分ではどのように感じてますか。
S:二十歳前に悩んだのは、弾けて弾けて仕方がないということ。これは自惚れのように聞こえるかもしれないんですが、逆で、自分としては何でも弾けてつまらない。情けないという感じなんです。そのときに上の兄に相談したらとても面白い話をしてくれました。
それは「凄くうまい絵描きがいた。彼はあるとき右手に持っていた絵筆を左手に持ち替えて絵を描くようになった。絵は、以前に比べればテクニック的にはうまくないけれど、人の心を打つすばらしい絵になった」という話で、私がほしいのはこれだと思ったことがあるんですね。
その後、私は一時ヴァイオリンをやめ、本当に弾けなくなって、そんな甘いもんじゃないんだということが分かったんですが、そのときに思ったのは、以前のようにすらすら弾ける自分に戻りたいということではなく、多少弾けなくてもいいから人の心を打つ演奏ができるようになりたいということ。それからはそれに向かって、それを目標にやってきたんです。二十歳前の自分とそれ以降の自分は全然違うんだなあとよく思いますね。
Q:大学では、音楽ではなく哲学を専攻されていたそうですが、それを選ばれた理由は。
S:直接的には、当時のヴァイオリンの先生から、あなたが音楽学校に来ると先生がやりにくいから、行かないほうがいいと言われたこと。もう一つにはいろんな勉強をしたいと思っていたことがあります。それは、あるとき江藤俊哉先生から「あなたは本当に完璧な演奏をするけれど、いつの日か僕を泣かせてくださいよ」と言われたことがあって、ずっと心に残っていたんです。
当時、中学生の私にとっては、感動という意味すら分からず、ほんとにどうやったら泣くんだろうって思ってました。その後、音楽っていうのは内面なんだとうすうす感じるようになり、自分の部屋で一日十四時間練習しても得られないものがあるんだということが分かってきて、大学ではいろんな勉強をしたいなと思ったんですね。
Q:ほんとうに優れた演奏家は、一音で人を感動させることができると思うんですが…、千住さんはどう思われますか?
S:そう、ほんとうにそのとおりですね。いろんな演奏家がいて、たとえばベートーヴェンをその当時流に弾くのが演奏家の役割だという人もいます。でも私は違うんです。一音で人がほろっと涙を流すような、そんなヴァイオリニストにいつの日かなれたらいいなと、ずっと思ってるんですね。でも、そのことを話してもなかなか皆さんに分かっていただけない。クラシックはそうじゃないんじゃないですか、とか言われたりして、それがとても悲しいなと思いますね。
Q:愛器ストラディバリウス『デュランティ』についてお伺いしたいのですが、1716年、時のローマ法王のために製作され、その後、300年間封印されていたということですが…。
S:時のローマ法王クレメンテ14世が亡くなったあとに、側近のフランス人がフランスに持ち帰り、デュランティ家に200年間家宝として代々受け継がれてきました。その後、デュランティ家が滅びる直前にスイスの貴族の下に移り、スイスでも80年間家宝として受け継がれてきたということです。
Q:普通、楽器は弾き込まないと鳴らないと思いますが、300年間誰も弾いていなかったのに素晴らしい音色で鳴ったというのはどうしてなのだと思いますか。
S:ありえないと思いました。最初、素性を知らずに弾いてとてもいい音色がして、この楽器はプロの演奏家、しかもばりばり弾きこなす人が弾き込んだ楽器だなと思ったんですが、後から素性を聞いて本当に驚きました。まるで生きているように、体温があって、何にでも変化していけるような恐ろしさがあります。
Q:お書きになった本「聞いて、ヴァイオリンの詩」の中には印象的なエピソード、言葉がたくさん出てきます。「神は、そのことに耐えられる人にだけ、大きな試練と栄光を与える」という言葉がとても印象に残っているんですが。
S:これは親から言われた言葉なんですが、言われたときは反発しましたね。丁度ヴァイオリンをやめていた辛い苦しい時期でしたから、そんなのずるいじゃないか。耐えられればどんな苦痛でも与えるのかしらという感じで。励ますつもりで言ってくれたことはよく分かりますが…、それが心に沁みたのはずっと後になってからですね。
Q:全然違う質問で恐縮なんですが、赤ワインがお好きだと伺いましたが…。
S:大好きです。ボルドー系のしっかりした味の物が好きですね。ヨーロッパに一人で演奏旅行に行くことがあるんですが、女性が一人でホテルのレストランに入ると怪訝な顔をされることがあるんです。それで入りにくいので、よく街でパンとチーズとワインを買ってホテルの部屋で飲みます。ボルドーは香りと深みが素晴らしく、それだけでご馳走を食べた気分になれるというか、そのなんともいえない安らぎが好きです。
Q:クラシック以外の音楽、本、映画、演劇、などで、お好きなものがあったら教えてください。
S:好きなものはたくさんあるんですが…、映画は自分が演奏する上でも勉強になるものが多いですね。昔のヨーロッパ映画はとても好きです。特に好きなのはチャップリンかな。チャップリンの映画は何度も見返しました。チャップリンは悲しいことを悲しいって言わないんですよね。そのことによって悲しさの深みを表現している。それが素晴らしいですね。
Q:ヴァイオリニストとしてこれからやってみたいことは?
S:今は、この楽器(デュランティ)に導かれて、新しい世界が拓けたばかり、やっとヴァイオリンが弾ける状態になったという感じです。これからが私のヴァイオリン人生の始まりだと思ってます。
千住 真理子 プロフィール
東京生まれ。慶応大学文学部哲学科卒業。
2歳半よりバイオリンをはじめ、鷲見三郎氏、江藤俊哉氏に師事。12歳でデビューし、日本音楽コンクールを最年少15歳で優勝。パガニーニ国際コンクールに最年少で入賞。その後も国内外で活躍し、多くの賞を受賞。
チャリティーコンサートや社会活動にも貢献している。キャスター、司会などテレビ、ラジオへの出演も多く、著書に『聞いてバイオリンの詩』(時事通信社)などがある。
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